2024年3月30日 王子神社参拝と飛鳥山公園花見散策

王子神社

元亨二年(1322年)、当時の領主豊島氏が紀州の熊野権現を勧請し若一王子宮と奉斎して熊野にならって景観を整えたといわれています。以来、王子の地名が生まれる。

後に徳川家康公は社領200石を寄進し将軍家祈願所と定め、歴代の将軍の表敬厚く、八代吉宗公には元文二年飛鳥山を寄進し、王子権現の名と飛鳥山の花見は江戸名所として知られる。

ちなみに王子付近に流れる石神井川が音無川という愛称で呼ばれる様になったのは、徳川は熊野・紀州出身であるので、熊野信仰の神様を祀る王子の地に流れる川であることから、地元にある川と同じ音無川と呼んだのだそうです。

飛鳥山公園は、東京都内の桜の名所の一つ。江戸幕府第8代将軍徳川吉宗が享保の改革の一環として整備・造成を行った公園として知られる。明治6年には日本最初の公園の一つに指定された。旧渋沢栄一飛鳥山邸が位置している。」

近代日本経済の基礎を作った渋沢栄一は、設立に尽力した王子製紙(の工場を眼下に見守ることができる飛鳥山に、邸を構えました。明治12年からは内外の賓客を招く公の場として、その後明治34年から亡くなる昭和6年までは家族と過ごす日常の生活の場としても使用し、「曖依村荘(あいいそんそう)」とも呼ばれ、栄一もこの地をこよなく愛しました。

園内の旧渋沢庭園には、国の重要文化財に指定された大正期の2つの建物「晩香廬(ばんこうろ)」と「青淵文庫(せいえんぶんこ)」が、国の重要文化財指定で当時のままの姿で残っています。当日は、王子神社参拝後、飛鳥山公園で、開花し始めた桜を見物しました