第8回 関東藤白鈴木会総会・懇親会が開催されました。
日 時:令和6年10月26日(土) 場:成願寺小笹庵ホール
今回は翌月の鈴木サミットを控え、会員各位の負担を控えるため小規模で開催いたました。
当日は、実務報告を中心にいたしましたが、ご参加いただいた会員の方々から、来年度の活動について貴重なご提案を頂きました。
第8回 関東藤白鈴木会総会・懇親会が開催されました。
日 時:令和6年10月26日(土) 場:成願寺小笹庵ホール
今回は翌月の鈴木サミットを控え、会員各位の負担を控えるため小規模で開催いたました。
当日は、実務報告を中心にいたしましたが、ご参加いただいた会員の方々から、来年度の活動について貴重なご提案を頂きました。
鈴木ゆかりの地の探索会
長泉寺「鈴木正三墓碑」 「武蔵陵墓地」「八王子城跡」
八王子市 長泉寺「鈴木正三墓碑」をはじめ、付近の「武蔵陵墓地」「八王子城跡」を探索いたしました。
当日は晴天に恵まれ、13名の参加者の元、密度の濃い集いが行われました。
中央線高尾駅北口(京王線高尾駅に隣接)
社寺を思わせる風格ある駅舎は、大正天皇が崩御された際に大喪列車の始発駅として突貫工事で作られた「新宿御苑仮停車場」の建物を後に移設したものです。
多摩御陵造営に伴い移動された正三坐像が安置され、寺東側丘上には正三の墓地があります。
墓地の入口。階段の途中に解説板があり、階段下にある石には、以下の文字が刻まれている。
(す)ゝきせうさん ひやう所
※( )内は欠損による欠字を補ったもの
2.武蔵陵墓地
昭和2年(1927)に大正天皇の陵所として選定され、現在は約46万㎡の陵墓地内に多摩陵(大正天皇)、多摩東陵(大正皇后)、武蔵野陵(昭和天皇)・武蔵野東陵(昭和皇后) が造立されています。
御陵総門の手前右側の小高い丘(庵の山)に、かつて鈴木正三の堅叔庵と墓がありました。
御陵正門の前を過ぎて突き当たりを右に曲がリフェンス角の内側に坂道の名残があります。これが「庵の山」入り口で、登ると鈴木正三(石平道人)と弟子の恵中が修行生活を過ごした堅叔庵がありました。全員で堅叔庵跡に向かって遙拝いたしました。
3. 八王子城跡
武蔵陵墓地から約4キロ強にあり、大手門付近の石垣・曳橋・御主殿跡など見学しました。
八王子城は関東の大勢力北条家の一門、氏照が築いたもので、本拠小田原城に次ぐ重要な城でした。
秀吉の小田原攻めの際、前田利家・上杉景勝らの軍勢に攻められ圧倒的不利な状況で抵抗を続け、秀吉の「時には皆殺しも必要」という方針から悲劇的な落城を迎えるのです。悲しい最期を迎えた姫君ら女子の伝説も伝わっています。
城跡に櫓や天守閣などは見られませんが、年代的には北条氏が築いた最後の城郭となり、東京都内の城郭跡としては最古の石垣が現存します。今回は居館(御守殿)跡を訪ねました。
曳橋を渡り御主殿跡へ
御主殿門
ガイドの方に丁寧な解説をいただきました。
建物群の礎石。一番大きい建物が政務を行う主殿、もう1つが来客を饗応する会所。
八王子城落城の際、御主殿にいた子女、将兵たちが自刃し身を投じました。
鈴木正三は天正7年(1579)三河に生まれました。正三は徳川家康の家来で、関ケ原の合戦、大坂冬、夏の陣の合戦で軍功を立てましたが、秀忠の時代、42歳で出家をしてしまいました。当時旗本の出家は禁じられていましたが、将軍秀忠の温情で、隠居扱いとなり家は残りました。
曹洞宗の禅僧として各地で修行を重ね、元和9年(1623)ごろ三河に戻り、石平山恩真寺を創建します。この時から石平道人(せきへいどうにん)と呼ばれるようになりました。一宗一派に属さず「南無大強精進勇猛仏」の信仰を唱え、仁王禅を提唱しました。
天草島原の乱の後、石高半減を幕府に嘆願して、切腹して果てました。天草の人々はその遺徳を偲び、その霊は神社に祀られています。代官として赴任した弟の重成たちを助け、荒廃した人心の復興のため出向いています。乱で荒廃した天草に3年間滞在し、寺や神社の復興に尽力しました。
重成は幕府に農民の一揆の原因となった高い租税半減を幕府に嘆願して、切腹して果てました。正三の子で重成の養子となった2代目代官の重辰(しげとき)も同じ訴えを続け、ついに重成公の七回忌に松平信綱と阿部忠秋の連名で石高半減の通知が下されました。天草の東向寺領の一角には重成公の遺髪が埋められ、遺髪塚が築かれました。根本となった遺髪塚(本渡市本町)には重成公祀る鈴木神社が建立され、後に兄正三公、養子重辰公も祀られました。天草を救った代官として鈴木神社(天草市本町)をはじめ天草の三十余カ所に「鈴木さま」としてまつられています。
各地を行脚し八王子に来られたのは亡くなる少し前70歳前後だったようですが、八王子長房村中郷(現在の武蔵野御陵の地)に堅淑庵という小さな寺を開山して、弟子の恵中と活動をしていました。
なぜ、八王子で伝道活動をしたのか定かではありませんが、八王子落城と言う悲惨な経験を通して、それでも懸命に、復興に力を尽くした八王子の人々と天草の復興が重なっていたのかもしれません。
正三が活躍した江戸初期は、江戸幕府を確立するうえで変革の時代でした。当時の八王子は、大久保長安の新しい町づくりが終わり、幕府の力が強化され、代官制度も変わり、千人同心の活動も活発化している時代でした。
平和な世の中が出来つつあった時代に、生と死を身近に見てきた戦国武士の正三は、戦いのない時代に、人がどう生きたら真の平和な世の中になるのか正三自身がたどり着いた境地を人々に伝道たかったのでしょう。武士道精神に基づく独自の禅を起こす一方、世俗生活と信仰生活との一体を教えました。
正三は明歴元年(1655)6月77歳の時、江戸神田駿河台の屋敷で亡くなりました。禅宗の僧侶として執筆と布教活動に務めた一生でした。火葬されたその骨は白雪の如く輝き、八王子にも分骨されたと伝わっています
現在の墓所は、昭和2年多摩御陵造営にともない、「庵の山」(御陵総門の手前右側の小高い丘)からこの地に改葬されたものです。
現在長房町の長泉寺境内に正三と弟子の恵中の墓所があり、八王子市の史跡文化財に指定されています。鈴木正三ではなく、石平道人として記載されています。
関東藤白鈴木会 会長 鈴木 久元
会員の皆様、この度鈴木ゆかりの地として「鈴木正三墓碑」の探索会を企画しました。八王子市 長泉寺に葬られております小さな墓碑でありますので、付近の多摩御陵などを含めての探索場所としました。
下記の通ご案内いたします。何方様も万障お繰り合わせ下さいまして、ご参加下さいます様 お待ちしております。
記
○日時: 令和6年5月26日(日)午前10時頃~16時頃まで。少雨決行。
雨天順延の場合は、6月2日(日)、同時間にて。
○雨集合場所: 中央線高尾駅(京王線高尾駅に隣接) 北口改札口のバス停付近。
10時10分集合 交通費各自負担、昼食弁当、飲み物は各自ご持参ください。
○参加費:1,000円(お寺様へ等)
~~~ 探索場所 ~~~
・境内の一 画の小高い場所に鈴木正三の墓・碑文・弟子の墓があります。元々は隣接の多摩御陵にありましたが、移転しました。
・堂内の鈴木正三座像の拝観: お寺の法事がなければ拝観可能、ご住職のご都合にて決定。
2.武蔵陵墓地
・多摩陵(大正天皇)・多摩東陵(大正皇后)、武蔵野陵(昭和天皇)・武蔵野東陵(昭和皇后) がお眠りになっております。
(余談: 昭和の時代は「多摩御陵」と呼んでいました。現在の宮内庁の名称は「武蔵陵墓 地」(「武蔵野陵墓地」ではありません)、但し事務所名は「多摩陵監区事務所」、国土交 通省の交叉点の信号名は「多摩御陵前」、道路名は「多摩御陵線」です)
・長泉寺から徒歩6~7分です。途中に正三ゆかりの「日光神社」 (小さな社)あり。
3. 八王子城跡
・武蔵陵墓地から約4キロ強にあり。大手門付近の石垣・曳橋・御主殿跡など見学。
○参加ご希望の方の連絡先
・関東藤白鈴木会: 03-3308-8003、または、
地元企画担当、日野の鈴木邦夫:携帯へ
4月30日までに、雨天順延時の6月2日(日)も含めて、ご連絡願います。
○その他
・6月2日(日)の順延時は、ご住職様のご予定にて、堂内の拝観は残念ながら叶いません。
・詳細の工程等につきましては、別紙にてご案内いたします。
以上
元亨二年(1322年)、当時の領主豊島氏が紀州の熊野権現を勧請し若一王子宮と奉斎して熊野にならって景観を整えたといわれています。以来、王子の地名が生まれる。
後に徳川家康公は社領200石を寄進し将軍家祈願所と定め、歴代の将軍の表敬厚く、八代吉宗公には元文二年飛鳥山を寄進し、王子権現の名と飛鳥山の花見は江戸名所として知られる。
ちなみに王子付近に流れる石神井川が音無川という愛称で呼ばれる様になったのは、徳川は熊野・紀州出身であるので、熊野信仰の神様を祀る王子の地に流れる川であることから、地元にある川と同じ音無川と呼んだのだそうです。
飛鳥山公園は、東京都内の桜の名所の一つ。江戸幕府第8代将軍徳川吉宗が享保の改革の一環として整備・造成を行った公園として知られる。明治6年には日本最初の公園の一つに指定された。旧渋沢栄一飛鳥山邸が位置している。」
近代日本経済の基礎を作った渋沢栄一は、設立に尽力した王子製紙(の工場を眼下に見守ることができる飛鳥山に、邸を構えました。明治12年からは内外の賓客を招く公の場として、その後明治34年から亡くなる昭和6年までは家族と過ごす日常の生活の場としても使用し、「曖依村荘(あいいそんそう)」とも呼ばれ、栄一もこの地をこよなく愛しました。
園内の旧渋沢庭園には、国の重要文化財に指定された大正期の2つの建物「晩香廬(ばんこうろ)」と「青淵文庫(せいえんぶんこ)」が、国の重要文化財指定で当時のままの姿で残っています。当日は、王子神社参拝後、飛鳥山公園で、開花し始めた桜を見物しました
関東藤白鈴木会々員各位
令和6年3月吉日
関東藤白鈴木会 会長 鈴木久元
拝啓 軽暖の候 桜のつぼみも膨らんできましたが会員の皆様にはご清祥にお過ごしの事と拝察申し上げます。
大変遅くなりましたが3月9日(土)の午後から新年初めての幹事会を東京中野区の成願寺様の会議室をお借りして行いましたのでご報告を申し上げます。
本年の行事予定の概要を決めましたが、正式には別途ご案内をお出し致します。
昨年3月には大勢の皆様からの寄進により復元された鈴木屋敷に、この1年間に5千人以上の見学者が訪れて下さった様ですが本年の11月16日(土)~17日(日)の2日間に全国の鈴木さんへ呼び掛けて第8回鈴木サミットを行う事が決まりましたので、弊会も今 から準備を始めなければなりません。会員の皆様の多大なご協力をお願い申し上げます。
敬具
※年間行事予定
○3月
1.場所 北区の熊野神社をお参りしながら飛鳥山で花見を行います。
2.日時 3月30日(土) AM10:00
★集合場所・・・JR京浜東北線「王寺駅」北口改札
○5月
1. 場所 八王子の長泉寺
(鈴木正三墓碑)
多摩御陵の見学
2.日 時 第一候補5月26日 (日)
第二候補6月2日(日) どちらか
(正式に決まり次第ご連絡致します)
○10月
1. 場所 第8回関東藤白鈴木会総会
四ツ谷主婦会館 プラザエフ
2.日 時 10月5日(土)
(改めてご案内致します)
○11月
1. 場所
和歌山県海南市で第8回鈴木サミット開催
2.日時 11月16日(土)~11月17日(日)
(改めてご案内致します)
○全国から「鈴木さん」大集合
産経新聞2013年5月22日
明けましておめでとうございます。会員の皆様、2024(令和6)年をご健勝にお迎えなされた事と拝察申し上げます。
昨年はコロナから解放され、3月には皆様の多大なご協力の下に鈴木屋敷の復元竣工式が開催され、4月1日からの一般公開には多くの見学者にきていただいております。
本年はその海南市にて、第8回全国鈴木サミットが秋頃に開催される予定です。大勢の皆様と参加致しましょう。
皆様にとって良い一年となります様祈念申し上げます。
2024(令和6)年元旦
関東藤白鈴木会
会長 鈴木 久元
拝啓
晩暑の候 猛暑続きの夏ですが会員の皆様にはご清祥にお過ごしの事と拝察申し上げます。
扨て、コロナ禍の影響で和元年の総会後3年間集会も儘ならず過ぎましたが本年5月より5類移行になり賑わいが戻ってまいりましたので、久しぶりに皆様とお会い致したく 10 月 7 日に会場の予約が出来ましたので別紙案内書をお送り致します。 何方様も万障お繰り合わせのうえ大勢のご参加をお待ち申し上げます。
弊会の今期の行事は本格的な活動も出来ませんでしたが昨年12月3日に都内港 区の浜離宮(物部二代目、物部氏、穂積氏、采女氏らの祖とされる宇摩志麻治尊の銅像あり)と、文京区の六義園(和歌浦と藤 白峠を模倣して作った庭園)の2ヶ所を日帰りで探索会を行い、13名の会員の方々にご参加いただき、本年 1月21日には成願寺の会議室をお借りして幹事会(10名出席)を行いました。翌1月22日は一乃会の鈴木秀子様のお誘いを受け4名の方々が目黒・喜多六平太記念能楽堂にて「巻網」 のお能見学を行いました。
そして令和3年8 月に始められた藤白鈴木屋敷の復元が3月初旬に完成し3月30日に盛大な竣工式 が海南市で行われ弊会会員の14名の皆様がご出席いただき誠にありがとうございました。
5月20日に第2回の幹事会を成願寺の会議室で行い (11名出席) 10月の総会が決定し、 味の素工場見学の提案もありましたが猛暑の為秋口以降に予定する事にしました。
藤白の鈴木屋敷は現在約3000人近い見学者が来られているそうですが、 総会当日は本部からご出席いただき現状報告をしていただき乍ら屋敷建築過程や竣工式のビデオ撮影をご覧いただく予定です。
まだまだ暑さが続きますが何方様もお身体に気をつけてお過ごしください。
敬具
令和5年 8月 25日
関東藤白鈴木会会長
鈴木 久元